MESSAGE

理事長メッセージ

白水学園経営理念
『未来の日本を創造する為に、
情熱と感動で全力の組織を目指す!』

20年後の日本が
どんな未来になっていても、
自分で考えて自分でやってみる
大人になってほしい。
その為に今、私達がやるべき事は何か…。
それを考え続けるのが、
『未来創造業』である私達の仕事。
子供を成長させたいという
『情熱』を忘れず、
子供の「できた!」という瞬間の
『感動』を大切にし、
全力で仕事に取り組み、
一人ではできないことも組織力で補う。
それが、白水学園の経営理念です。

私達と一緒に、
一生の想い出を創りませんか?
それを実現できる幼稚園が、
ここ春日にあります…!

SHIROUZU SPIRITS

動画

1953年に産声をあげた白水学園も半世紀を超えました。
永遠に試行錯誤していく白水学園の全職員の想いは
『ANY CHILD CAN DO どの子もできる』です。
できない子は一人もいない、いるのは少し時間のかかる子だけ。
この想いを全職員が信じ、継続する保育と体験する保育、
そして、昔も今も白水学園が一番大切にしている「楽しさ」で子供の心を成長させていきます。
また、教師自身も先生である前に社会人であることを忘れずに、素敵な女性を目指しています。
その全てが私達白水学園の『Shirouzu Spirits』なのです。

OVERVIEW

SHIROUZU SYSTEM

白水学園の歩み

1953年10月 春日小学校の教師を退職後、農繁期の幼児のために青空オルガン教室(季節託児所、現 森の木幼稚園)を開設し、春日市の幼児教育の先駆者となる。

『子供は一家庭のみならず、地域社会ひいては世界の宝です。幼稚園という場所は、その宝物である子供が「先生」と呼べる人に出会う初めての場所です。そこで教える先生は、子供の人間形成に大きな影響を与えます。先生自らが人間性を高め、子供一人ひとりの個人差に対応し、子供の感性や能力を育てていくことが大切です。これからの日本の将来を担う、大事な人間形成の基盤づくりに携わることで、地域社会の発展に役立つことができるのです。』
生前の言葉より

創立者
白水 カヲル
1953年 10月 創立
1956年 4月 春日第一幼稚園開設
1971年 4月 春日第二幼稚園開設
1978年 4月 春日西幼稚園開設
1999年 9月 春日第二幼稚園園舎改築
2003年 1月 白水学園創立50周年記念事業として春日第一幼稚園新園舎竣工
2003年 4月 白水学園創立50周年を記念して、三園の園名を変更する
森の木幼稚園(春日第一幼稚園)
くすの木幼稚園(春日第二幼稚園)
もみの木幼稚園(春日西幼稚園)
2005年 5月 白水学園子育て応援センター『パピーハウス』(くすの木幼稚園内)開設
2008年 8月 もみの木幼稚園創立30周年事業として園舎改築
2014年 1月 白水学園創立60周年記念事業として森の木幼稚園『パピーハウス』竣工
2017年 8月 森の木幼稚園・もみの木幼稚園を全面人工芝化
2019年 8月 くすの木幼稚園スポーツランドを全面人工芝化

PROFILE

理事長白水 剛
1967.1.19生まれ
好きな言葉「現状維持は後退だ!」
1990 福岡大学商学部卒業
1990 ホテル日航福岡入社
1995 学校法人白水学園入社
2003 学校法人白水学園 くすの木幼稚園園長就任
2004 学校法人白水学園 第三代理事長就任

父は白水学園の二代目理事長、母は小学校校長という教育一家に生まれる。両親とも忙しく、家にいないのをいいことに自由奔放に育つ。
小学生までの成績はなかなか優秀であったがそこをピークに下降線をたどる。小中は野球に打ち込み、ヤンキーだらけの中学野球部の中でかなりもまれていたことが、彼の人生においては貴重な経験になっている。受験勉強をしているふりが得意で当時の人気深夜番組オールナイトニッポンを聞きまくった為、あえなく公立に落ち、私立の男子校に行かざるをえなくなった。
高校三年間は灰色の生活を送ったらしく勉強勉強また勉強の繰り返しであったらしいが、何とか大学に受かった。
大学では一転してバラ色の生活を送ったもよう。テニスにバイトにバンド活動。とにかく充実した大学生活を送り生涯の友となる出会いもあった。
就職はこれまた第一志望に落ちたが、ホテルというお客様を喜ばせる世界で、『おもてなし』を学んだことや女性が多い職場での振る舞い等、かなり貴重な社会経験を積んだようだ。5年間勤めたが、当時小学校の教諭をしていた自慢の姉が病気で急逝。
落ち込んでいる親を助ける意味もあり、急遽ホテルを退職し家業を継ぎ、玉川大学で教員免許を習得し現在に至る。
「幼稚園の仕事は世界一」今、彼はそう言っているが当初からそうだったわけではない。過去には大量の職員の離脱、園児数減、大きな事故も経験し、そんなことを乗り越えようとしている現在進行形の白水剛である。

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