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子育て vol.48『闘いは続く』

森の木幼稚園・くすの木学童塾  白水 奈々子 

 

 先日、長女が勤務する幼稚園の運動会を見に行く機会をいただきました。ついこの間まで小学校や中学校の運動会を見に行っていたと思っていたのに、今はその娘が、教える立場でグラウンドに立っています。いくつになっても子どもは子ども。その姿に涙がこみ上げてきました…。

 

 この『我が子へのザンゲ』の常連である、三きょうだいの中で一番手のかかった長女。長女とは闘いの日々が長く続きました。2歳頃から家を出る22歳頃まで。今はお互い大人として付き合い、いい関係だと思っています…でもまだ時々言い合いになりますが笑。
 なぜそんなに手がかかったか、それは明らかに私が子どもを理解していなかったからです。母親になった時は、我が子は可愛いばかりだと思っていました。しかし、訳が分からないほど泣き叫び、何を言っても泣き止まない。私は、腹立たしくて、大声で怒鳴ることしかできませんでした。もっと、子どもの気持ちを聞いてあげたり、ゆっくり関わってあげたりすればよかったのでしょうが、その時の私にはその余裕は全くありませんでした。泣くたびにそれに輪をかけて叱ってばかりでした。
中学生くらいになると、母親の大声くらいでは押さえつけられなくなり、激しく言い返してくるようになりました。「中学校に行かない!」と泣き叫んだ時には、「幼稚園に行かない!」と泣き叫んだ時の何倍も大変で、悩みました。でもその時も闘いました。高校で進路のことや生活態度のことで言い争いになった時も闘いました。大学生でも、バイトや門限のことで何度もヒートアップし血管がブチ切れそうになったこともあります。年齢と共に悩みも変化し、お互い妥協することを覚えると共に、譲れないことも明確になっていきました。そして、ようやく大人同士の関係が築けるようになりました。子どもに気を遣うことなく、遠慮なく言ってきたからだと思います。

 

 私も、親として成長できた事があるとすれば、子どもの成長と同時に理解しようと思えるようになった事かもしれません。理解…というより、ちょっと耳を傾けることができるようになったという程度でしょうか。でも、いつも『これを許すことでこの先、取り返しがつかなくなったらどうしよう』という気持ちと闘い、『許さない』選択をすることの方が多かったです。そのことでまたぶつかることもありましたが、遠慮はしません。

 

 『子育ては闘い』とはよく言ったもので、子どもとも自分の気持ちとも闘ってばかりで二十数年経っています。でも今は笑って話せるし、本気で我が子の将来を思うのなら親として当然のことと思っています。
家にいるのはほんの二十年ほど。もっと言えば、言うことを聞いてくれるのは九つくらいまで。もっともっと言えば、『三つ子の魂百まで』。親として、社会に出るまでにしつけなければいけないことを教える時間は、そんなに長くは与えられていません。

・・・社会にはたくさんの決まりがある。挨拶をすること、お礼を言うこと、順番を守ること、人に迷惑をかけないこと、もしいけないことをしたら「ごめんなさい」と謝ること。社会に適応していける子にするためには、こうしたことをしっかりと教え込むことが必要です。 (榎本博明著「イクメンの罠」より)

 

 愛情を込めて我が子を育てるということは、将来を見据えて導くことではないでしょうか。子どもの幸せを願うのであれば、気遣いや遠慮なんてしている場合ではないのです。

 大学生の次女にも言いたい事が満載ですが、これがまた『暖簾に腕押し』状態。闘いはまだまだ終わりそうにありません…。

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